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マインツ

ライン川とマイン川の合流地点に位置するマインツの歴史は2000年前に遡ります。紀元前38年にローマ帝国が築いた軍事拠点であるモゴンティアークムがその起源とされていて、古代ローマ帝国の街、自由帝国の街、宮殿都市、工業都市、メディア都市です。 かつて「黄金都市」であったマインツは、何百年もの間に何度も変貌を遂げました。そのそれぞれの跡が今でも残っています。

古代のマインツはローマ・ゲルマン博物館や古代船博物館で古代ローマの戦争用の船の復元によって生き生きと蘇り、旧市街を歩けば中世の街並みが広がります。聖マーティン大聖堂やゴシック様式のシュテファン教会には感銘を受けますが、気骨造りの家や居心地のいいワインバーの並ぶ曲がりくねった小路も印象深いです。戦争の傷跡が濃いにもかかわらず、バロック時代の多くの貴族の館が残っています。その中に今日ではラインラント・プファルツの州議会議事堂の入ったドイチュハウスもあります。マインツが19世紀に重要な工業都市になって以来、世界各地から名のある企業が多くここに移ってきました。マインツの先進技術のシンボルは今日ではショット・ガラスで、世界でも重要なガラス製造会社です。

2月になるとカーニバルが行われ、それが人々の生活の中心になります。多くのカーニバルの団体が行列をなし、そのパレードの車やパフォーマンスは多様です。最高潮は、バラの月曜日という日のカーニバルパレードで、その時はマインツの人々は政治の批判を言ったりして社会の不満を発散させます。

もちろん、15世紀にマインツで初めて印刷械が作られた事を忘れてはいけません。グーテンベルクはメディア改革を起こしたのです。当時から現在までの印刷技術の発展はグーテンベルク博物館の展示品で知ることが出来ます。ですが、マインツが今日メディア都市と言われる所以は特にラジオやテレビのおかげです。マインツのレルヒェンベルクにはドイツでも名高いテレビ局ZDFがあり、ヨーロッパで最も大きいテレビ会社です。

ラインラント・プファルツ州の州都 Stadt Mainz
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